誰しも幸不幸の総計は同程度に収束する
という言葉、色々な意味を含有している深い言葉だな~と思います。
私がこの言葉について考え始めたのは、アニメ かぐや様は告らせたい でこの言葉を聞いてからのことです。
幸不幸の総計が皆同じとは、普通は思えない
普通に考えたら、「世界中の人全ての幸不幸の総計が同程度」とは、とても思えません。
自分の周りを見ても、世界中の著名な方を見ても、明らかに「幸福な人」もいれば、「不幸な人」もいます。
「幸福な人」の例としては、アメリカのトランプ大統領の娘であるイヴァンカ・トランプさん。
彼女は容姿端麗で、学歴も高学歴、ご実家は超お金持ち、自身もビジネスで成功しており、結婚相手も超エリート、たくさんの可愛い子供にも恵まれています。
誰がどう見ても、「幸福すぎる人」です。
一方、「不幸な人」の例としては、具体的に挙げるのは難しいのですが、例えば若くして残虐な事故・事件に巻き込まれ命を奪われてしまった方や、それにより大切な人を失ってしまった方、自身の容姿や性格に大きなコンプレックスを持っている方など。
上記のような、イヴァンカさんと誰か、という極端な例で比較して考えるとよくわかりますね。
「幸福な人」と「不幸な人」の「人生の幸不幸の総計」は、同じでは無いと思われます。残念ながら。この世界は残酷なのです。
幸不幸の総計が皆同じ? 客観と主観という観点
ですが、周りから見て「幸福な人」は、本当に幸福なのでしょうか? 周りから見て「不幸な人」は、本当に不幸なのでしょうか?
周りから見たら、容姿端麗でお金持ちで、明らかに「幸福な人」であるAさんも、内側にどんな悩みを抱えているかは、外側の私たちからではわかりません。
例えば、恵まれた環境に居るように見えるAさんであっても
・両親から精神的虐待やネグレクトを受けていた
・家族仲が実は悪く、家族愛に飢えている、家族愛がわからない
・家柄により好きな人との自由恋愛ができない、結婚相手を強制的に家に決められてしまう
・結婚相手が不倫しており、自分に愛情を向けてくれない
・恵まれているのに、自分のことが嫌いである
・いつも自分の心の中が負の感情に支配されており、自殺願望と常に闘っている
こういった、外側からは見えない不幸な面 がある可能性がありますよね。
そして逆に、不幸な環境に居るように見えるBさんであっても
・家族仲が良く、「周りの人から愛されること」を当然と思える
・生きる上での制約がなく、自分の人生を自分で自由に決められる・選択肢がある
こういった、自分では気づきにくい幸福な面 を持っている可能性があります。
周りから見た恵まれたAさん 周りから見た不幸なBさん という考え方は、客観的な観点から見た場合のものです。
ですが、人の幸不幸を決める要素としては、客観的な観点だけではなく、むしろ主観的な観点、その人自身が自身の人生についてどう思っているかという要素が、最も重要です。
そして、この主観的な観点は、周りからは推し量ることができない要素です。
幸福な人に見えるAさんであっても、内側で大きな苦悩を抱えている可能性があります。
Aさんの幸福度数
客観的な観点 :95点
主観的な観点 :5点
Bさんの幸福度数
客観的な観点 :15点
主観的な観点 :95点
こういった可能性もありますよね。
この場合、Bさんのほうが実は幸福であった、という可能性も大いにあり得るのです。
要は、隣の芝は青く見えてしまう のです。
幸不幸の総計が皆同じ? 過去・現在と未来という観点
また、人は他人の幸不幸を判断するときには、その人の過去の幸不幸な出来事や、現在のその人の境遇を見て判断します。
その判断基準の中には、その人の「将来・未来のこと」については含まれていないんですよね。
「将来・未来のこと」は、誰にも予測しようがないので、これは当たり前です。
ですが、過去そして現在がとても幸福であるAさんが、今後もずっと継続して幸福であるとは言い切れません。何か不幸な事件・事故に巻き込まれたり、病気になってしまう可能性もあります。
逆に、過去そして現在が不幸であるBさんが、将来・未来までずっと不幸であるとも言い切れません。将来的に配偶者・子供に恵まれたり、宝くじが当たって何不自由ない暮らしができる可能性もあります。
自分の人生が不幸であると思い、悲観的になってしまっているBさんであっても、将来、良いことが起こり、幸福になれるかもしれないという可能性を、誰も否定はできません。
幸不幸の総計は皆同程度 前向きになれる魔法の言葉
幸不幸の総計は同程度という言葉が正しいかを考えるために、「客観と主観という観点」と「過去・現在と未来という観点」で考えてみましたが
自分の主観を他人が判断することなんてできないですし、自分や他人の将来・未来のことを誰にも予測することはできないのですから、
「人生の幸不幸が皆同じであること」を、誰も肯定もできませんが、否定もできないのです。
私はこの言葉、とても大好きです。この言葉を胸に留めておくことで
自分がこれまで幸福であるAさんだったとしたら、これまでの自分の恵まれた境遇に慢心せず、謙虚な気持ちになれますし
不幸であるBさんだったとしたら、他の人には無い自分の長所、当たり前と思っていた自身の恵まれた境遇に気づくきっかけになるかもしれません。
この言葉をきっかけに、自分の将来・未来に対して、今より前向きな気持ちになれるかもしれません。
私は、「誰しも幸不幸の総計は同程度に収束する」 この言葉を魔法の言葉だと思っています。
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